無意識について語るにあたって、フロイトと並ぶ重要な人物がユングです。
ユング(カール・グスタフ・ユング:Carl Gustav Jung)はフロイトと同時代のスイスの心理学者で、「ユング心理学」とも呼ばれている分析心理学を創始したことでも有名です。
後に決別しますが、一時期フロイトと共に理論を交わしたこともありました。
ユングの分析心理学では、無意識については「集合的無意識」と「個人的無意識」の2点から考えられています。
集合的無意識は「普遍的無意識」とも呼び、分析心理学において中心を担っている概念です。
人間の無意識の中には、コンプレックスや恐怖症、またそれらから自分を守ろうとする自己防衛機能があります。
個人特有のこの無意識は個人的無意識です。
対し、個人に関係なく民族内等で有している国民性だとか、また広く見れば人類全体が有している意識が集団無意識です。
また、ユングの分析心理学には夢分析という手法もあります。
夢分析とは、集合的無意識にあるイメージが唯一夢として表出しているという考えをもとに行う分析です。
また、そんな夢こそが個人的無意識の元になっているとも考えられているため、夢分析もまた無意識と深く関わっているのです。
フロイトによる無意識とユングによる無意識、同じ心理学の分野であるとはいえNLPとは直接は関係のないことですが、NLPを学ぶことによって様々な“無意識”を知ることができました。
今後もNLPの資格を取得する程に学び、無意識について深く知って行きたいですね。
現在では「無意識」という単語は日常的に使われほど広く知れ渡っています。
しかし、はるか昔は無意識という概念がなく、単語としても知れ渡っているものではありませんでした。
医学面での「意識が無い」ことの意味は理解できても、精神的に「意識が無い」などというのは理解しがたかったのでしょうね。
無意識の概念が世間に知れ渡るようになったのは19世紀後半からのことです。
かの有名なオーストリアの精神分析学の創始者であるフロイト(ジークムント・フロイト:Sigmund Freud)によって、無意識について提唱され、その概念が明るみに出ました。
ただし、勘違いなきよう。
無意識については、フロイト以前の心理学者たちによって様々に論じられてはいたのです。
フロイトが無意識を提唱した当時、ちょうど無意識というものに視点が充てられつつあったため、その影響もあってフロイトの考えが広まるようになったのです。
フロイトが考える無意識とは、意識よりもさらに大きなものです。
これはNLPカウンセリングやNLPビジネスコンサルティングでいう無意識と同じですね。
ただ、フロイトが精神分析学の創始者であるため、以下は精神分析学における無意識の定義になります。
どうぞご了承ください。
フロイトによると、人間が行動を起こす要因は無意識に抱いている欲望なのだとか。
しかし、人間は社会的な生き物なので、良心や道徳観によってその欲望を無意識のうちに抑圧してもいるのです。
NLPでは、無意識にこそその人の真の能力が隠されており、それを意識的に活用することによって人生における成功を掴むことができると考えられています。
そのため、無意識とは有用な資源の宝庫であるというのです。
しかし、大半を占める無意識ですから、そこにあるものの全てが有用なものとは限りません。
有用なものが多くある反面、取り去ってしまいたいものもあります。
例えば、犬等の動物を怖いと感じる心。
幼い頃に噛まれたり追いかけられた経験があると、例えケージの中や鎖で繋がれた犬であっても無性に逃げ出したくなる衝動に駆られます。
同じように、高所恐怖症を始めとした各種恐怖症もそうです。
落ちる心配はなくても、ガラス張りのビルにいると足がすくむなんてこともありますね。
これらの恐怖症(恐怖反応)の多くは、幼い頃の経験が要因となって植え付けられたマイナスイメージです。
これらの逃げ出したい衝動や足がすくむといった反応は、無意識に起こるものですね。
意識の上では犬を可愛いと思っているのに、またビルからの眺めは良いと思えるのに、それでも無意識に恐怖心が働いているのです。
こういった無意識の恐怖心等は多くの行動の妨げになりかねないので、できることなら克服してしまいと考えている人も多いでしょう。
その場合、NLPカウンセリングやメンタルマネジメントを受けるなどして無意識に働くパターンに変化を促す必要が出てきますね。
このように、無意識に潜むものの中には有用なものもあれば不必要なものも含まれているのです。
私が“無意識”のなんたるかに興味を抱くようになったのは、他でもないNLPがきっかけとなったためです。
仕事の関係でNLPセミナーを受けたのですが、意識以上に大きな無意識の存在を知り、それまで悩んでいたことがとるに足らない些細なことのように思えたのです。
NLPは人の無意識の領域に働きかけるものですから、これまでとは違う新しい生き方を発見することも可能です。
人生が変わる・・・なんて言い方をすると大げさかもしれませんが、この感覚ばっかりは実際にNLPを学んでみなければ判らないかもしれませんね。
興味のある方は是非セミナーを受講するなどしてNLPを学んでみてください。
どう人生が変わるかは人それぞれですが、例として以下の利点が挙げられます。
・他人に頼られる人になれる。
・他人に合わせてコミュニケーションできる。
・他人に信頼される人になれる。
・他人に癒しを感じてもらえる。
・セルフイメージが改善される。
・人間関係を良好にできる。
・常に万全の状態でいられる。
などなど。
前回もお話ししましたが、NLPはあらゆる場で活用できます。
ビジネスはもちろんのこと、日常生活、人間関係、趣味の場でだってです。
例えばNLPの技法のひとつにフォトリーディングというものがあるのですが、これはつまるところ速読のことです。
速読を修得すれば情報処理能力や状況把握能力が上がるため、ビジネスに有効であることは誰でもご存知ですよね。
そうでなくても、素早く文章を読めるスキルというものはたいへん便利です。
短い時間でも多くの情報を取り入れることができますからね。
私も最近はNLPで知ったフォトリーディングを活用して、無意識についての書籍やネット上の資料を読み漁っているところです。
おかげで、今はそれが趣味のひとつになっているんですよ(笑)
NLPでは意識と無意識を氷山に例えられることが多々あります。
「氷山の一角」という言葉があるように、水上に見えている氷山はほんの一部でしかありません。
氷山の本当の姿はむしろ水中にあり、全体を含めた大きさは見えている部分の何十倍、何百倍にもなるのです。
氷山で例えたなら、水上に見えている部分が意識、水中にあって見えない部分が無意識ということになります。
そして、私たちが普段している行動のうち、意識して行っていることはほんの数パーセントで、その他のほとんどが無意識で行っている・・・というのがNLPでの見解です。
ところで、これまで何度か「NLP」なる単語が出てきましたが、まだこれについて詳しく説明していませんでしたね。
以下にご説明いたします。
◆NLPとは?
NLP(Neuro Linguistic Programming)とは、日本語に訳すと「神経言語プログラミング」となります。
「プログラミング」と名が付くとIT用語のように思えてしまいますが(汗)、無意識について述べていることからお判りのとおり、心理学に深く関係していることです。
・・・といいますか、NLPとは心理学から派生したもので、成功心理学とも心理療法のひとつとも言われています。
NLPが生まれたのはここ数十年のことで歴史はそれほど深くはないのですが、活用の場は近年で飛躍的に広がるようになりました。
政財界やスポーツ界、メディア等のあらゆるビジネスの場で活用され、NLPのお陰で成功を収めた人は数多くいます。
また、カウンセリングやセラピーでもNLPは欠かせません。
何より、人間関係やコミュニケーションに深く関わっているため、日常生活においてもNLPは活躍しています。
それらのあらゆるシーンにおいて、NLPによる無意識についての考えは重要な役割を果たしているのです。
「無意識に○○していた」
・・・といったのと同じ用法で使う単語があります。
「うっかり○○を忘れて」
「ついいつもの癖で」
・・・なんて言い方、皆さんしますよね。
この“うっかり”や“つい”が示しているものが無意識です。
ですが“うっかり”も“つい”も自分の失態を表すときの単語。
では無意識とは失態の元凶となるものなのでしょうか?
結論から述べるなら、そんなはずがありません。
NLPのように、無意識を利用して成功へ導く方法もあります。
ただ、無意識は意識していないからこそ後悔の種となることもあるのです。
私たちは生まれてから現在までの生活の中で、人を笑わせる方法や傷つけてしまう要因を自然と覚えてきました。
小学生にもなればジョークを言ってみれば周りの人たちが笑うことを知っていますし、心ない一言によって簡単に誰かが傷ついてしまうことも知っています。
それは自分にとっても同様で、自分の行動で自分自身が楽しくなったり傷つくことも知っているのです。
意識してジョークを言っているのであれば、次回も同じようにジョークを言って皆を笑わせようとするでしょう。
意識して心ない一言を発したのであれば、今後はそんなことは言わないようにと誓うことができます。
逆に、意識せずに誰かを傷つけてしまったとしたらどうでしょう。
改めようにも謝ろうにも、原因が判らないのでどうしようもありませんね。
無意識での失態とはこういうことで、そのために後悔する原因となることも多々あるのです。
無意識については哲学や心理学の分野において様々に語られています。
心理学から派生したNLPによると、私たち人間が意識できているのはほんの2パーセント程度であり、残りの98パーセントは無意識となっているのだとか。
しかし、その大半を占める無意識こそが日常生活に強く影響を与えています。
例えば、私たちが呼吸しているのは無意識のことであり、意識的に行っていることではありませんよね。
まぁ、呼吸は生理機能なので極端な例ですが、他の例としては感情を表すこと。
悲しみや怒りは意識しなくてもこみあげてくるものです。
笑うという行為だって無意識にに笑い声とともに湧き起こるものですね。
このように、私たちは日常の多くの場面で無意識の行動を起こしているのです。
NLPでは無意識にこそ重要な能力が秘められていると考えられています。
というのも、無意識に起こす行動は、これまでの人生において経験したことが元になっているため。
また、何より強く心にとめておいていただきたいのが、その重要な能力は誰にでもあるという考え方です。
そもそも無意識が98パーセントもあるのですから、その中に何らかの能力あって当然なのでしょうね。
能力とは素質です。
知恵・知識の場合もありますし、身体能力の場合もあります。
人間には考えられないような超能力・・・というのは漫画での話ですが(笑)
ちなみに、以上の考えのもとに実践されているNLPとは、心理療法や成功心理学のひとつです。
NLPを学び、ビジネスに活かしたりカウンセリングを受けることで、人生における成功へと近づいてきます。
98パーセントもの無意識がNLPでは意識して活用できるようになるのですね。
【無意識(むいしき)】
1・意識が無いこと。例:無意識の状態
2・自分の行動に気付いていない様子。例:無意識で動く
3・精神分析学における意識外の領域。
4・知覚しない範囲から影響を与えるもの。
5・麻酔や催眠といった特殊な作用によって表出するもの。
6・潜在意識。
~Yahoo辞書より(やっぱり自分が判りやすいように要約してます)~
「意識」について辞書での意味から考え始めましたので、「無意識」についてもまずは辞書の利用です(笑)
無意識については哲学や心理学で頻繁に取り上げて論じられているのでしょうね。
意識の意味の大半が単語としての用法を説明していたのに対し、無意識については半分以上が心理学を彷彿とさせる抽象的な説明です。
前回意識について述べた際に医療分野での意識の定義については省きましたが、無意識の場合は精神医学も関わってきます。
上記の意味のうち5番がそうです。
唯一具現化する“無意識”なので、これを省くわけにはいきませんね。
それから潜在意識。
これについての詳しいことは今後徐々に述べていきますが、これも無意識について語るには重要なポイントとなります。
あと忘れてはならないのが、心理学のひとつである深層心理学。
深層心理学こそが無意識を中心に取り扱って考える学問です。
この深層心理学によると、人間の意識は随分深い層のような造りになっていて、特に深いところで無意識が進行しているのだとか。
そして、無意識であるとはいえ、日常には大きく影響しているのだと考えられているのです。
【意識(いしき)】
1・心(脳)が知覚している状態。例:意識を取り戻す。
2・状況に気付くこと。例:勝利を意識して緊張する。
3・気にすること。例:存在を意識する。
4・自覚すること。例:罪を意識する。
5・関心を持つこと。例:意識が高い。
6・心理学、及び哲学用語。
~Yahoo辞書より(自分が判りやすいように要約していますが)~
意識について考えてみる前準備として、辞書で書かれている「意識」の定義についてまとめてみました。
以上の意味のうち、私がこのサイトで考えていきたいのは6番目の心理学、哲学用語としての意識です。
1~5は「意識」という単語の用法ですから、皆さんも例のような言い回しは聞いたことがありますよね。
意識については様々な分野で論じられています。
医療分野は省くとして・・・
例えば、西洋では中世に発展した哲学において意識とは良心であると考えられていました。
現在のような単なる現象としての見方は当時は無かったのです。
心理学は哲学から分科した学問ですが、19世紀当時の心理学では感情、感覚、観念を総合したものが意識であると考えられています。
精神分析学という学問もありますが、この場合人の心を意識、無意識、前意識に区別したうちの一つだと考えられています。
精神分析学における意識とは、自分で認識していることや経験していること。
現代を生きる私たちにとって非常に理解しやすい定義ですね。
もちろんもっと踏み込んで考えたら、自由連想法による無意識から意識へのナントカとか、前意識と長期記憶の関係だとか、複雑極まりないことになりますが。
では現代哲学ではどうでしょう。
現在医療技術が発展し、意識という単語の用法も多様化し、哲学であろうと心理学であろうと意識の定義が難しくなってきました。
専門の研究者でさえ、それらの意識の意味を混同してしまいがちだといいます。
もしかすると、意識について考えるにあたって最も難しいのはこの現代哲学かもしれませんね。
“無意識”って、けっこう日常的に使う言葉ですよね。
「無意識に携帯電話をチェックしていた」
「無意識のうちに家に着いていた」
・・・といったように。
普段、人が起こす行動は自ら考え意識することによって起こすものですけど、毎日のことであるためパターン化している行動や、幼い頃からの習慣の積み重なりによる条件反射等で特に意識しなくても起こす行動を、私たちは「無意識でする」と表現しているのです。
ですが、無意識の本来の意味はどうなっているのでしょう?
無意識とは「意識」を打ち消している熟語。
“意識が無い”と書くのですから、本当の無意識の意味は気絶しているとか、そんな恐ろしいことのように思えてきますね。
かといって普段「無意識で~」と表現していることは、決して気絶状態で行っていたと言っているわけではないですよね(笑)
このように“無意識”という単語には何通りかの意味があります。
以上のうちの後者は医学的な意味。
対して、私たちが普段表現方法として使っている前者は心理的な意味と区別することができるでしょう。
心理的な意味での無意識とはなかなかに複雑です。
古来からの哲学も関わってきますし、そもそも意識とは何かということから考えなくてはなりません。
少し遠回りになるかもしれませんが、無意識について理解を深めるために、まずは意識について考えてみましょう。
次回、意識の意味について紐解いてみます。
皆さん、しばしお付き合いくださいませ。